終わらない「戦後」

  • author: bigcare0306
  • 2005年07月12日

仕事柄、最近、戦没者(太平洋戦争関係)の遺族の方々と話す機会が多い。政府が色々そういう人達にお金をばらまいてるんだよね。
で、まあ基本的に事務的な話をしてるんだが、どうしても当時の話になってしまう。その中で、まず、独身のまま、しかも10代の内に召集がかかり、戦死してる人があまりにも多いことに驚かされる。結婚した人でも、ろくに一緒に暮らすこともなく亡くなり、残された妻が、その弟と再婚なんてのもザラにある。そしてほとんどの人が最前戦の激戦地にいきなり送り込まれてる。当時、一緒に暮らしていた人達の思いってのが生々しく伝わってくる。メディアというフィルターでろ過された戦争観とはあきらかに違うリアリティー。
その後の日本の復興、繁栄、戦後世代の増加で、もう誰もそんなことを気に止めなくなった。むしろ、日本の侵略ばかりがクローズアップされてる有様。しかし、普通の庶民にとっての戦争って、残酷で、悲劇的で、しかしどうしようもない虚無感につつまれた、やるせないものだったんだと思う。その記憶を持っている人達にとって、今でも戦後であることには変わりない。忘れかけていても、かつての過ちに後ろめたさを感じてる政府の定期的な金のバラ撒きによって思い出させられる。その家に戦没者がいたこと、いたことによる昔の家庭の混乱が、周りの人に改めて認識される。根深く戦後は残り続けている。
そこで気付く、サッカーが代理戦争云々の意見。確かに一面ではそうだろう。でも、リアルなところでは、サッカーと実際の戦争ではあまりにも違う。
内戦のあったクロアチアのボバンは言った「サッカーは戦争だという奴は、本当の戦争がどういうものか知らないんだ」。
逆に横浜の岡田監督はこう言った「サッカーを戦争にたとえ過ぎるのは、むしろサッカーをきれいごとにしてる」。
この二つの至言は、サッカーは平和であるからこそのスポーツであること、サッカーはサッカーなんだ、それだけで深いものなんだ、戦争を持ち出して思考停止してはいけないんだってことを提言してる。
今年は戦後60周年。ちょっと本物の戦争に思いを巡らしつつ、しかし、サッカーはサッカーとしてその深さを一層楽しみたいな。

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この記事へのコメント

「戦争」の捉え方にも2種類あるわけで、ひとつは戦場に立つ兵士の体験や空襲を受ける民衆の体験などに代表される「リアルな戦争」。もうひとつはイラクに空爆する様子を見て大いに盛り上がるアメリカ国民に代表されるような「リアルじゃない戦争」。サッカーが戦争だとするなら、間違いなく後者。前者は悲哀に満ちており、後者は高揚感に満ちてる。不謹慎ながら後者も戦争の一面。サッカーが仮想戦争であることは否定はできん。

1. Posted by 関西人 2005年07月13日 20:28

今サッカーをしてるまたは応援してる世代の子達はもちろん戦争を僕も含め知ってるようで知らない。授業で習った知識がそのままではないのだけど“戦争とはこうゆうものだ”という勝手な解釈が先行してるような気がします。戦争という言葉は重いもののはずなのに軽く言葉にしてしまえる事が恐いですね。だから尚更簡単に戦争を口にしてはいけないと思います。サッカーを戦争にたとえるのはナンセンスですね。もっとシンプルに楽しみたいし本来そうであるべきです。欧州での人種差別みたいな事が日本で起こらない事を願いたいです。

2. Posted by 継続 2005年07月14日 22:13 4

なんか、日本人は戦争って言葉が好きで、これだけ簡単に使ってるのは世界でも珍しいらしいよ。英語だと普通はバトルを使い、ウォーはほとんど使わないみたいだよ。

3. Posted by 老婆心 2005年07月14日 23:25

I thout to do it in my local version :(

4. Posted by Digger Lamisil Commercial 2006年08月21日 15:48 5

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